地震がおきてから、 今までの、 わたしの動きを 書いてみます。
毎日ニュースをみるたび、苦しいです。 あまりのことで、 blogをかくことすら、重かった。 自分の心にも余裕がもてなかった。 わたしはbedsidedramaのデザイナーを辞めてしまったけれど、 取引先だった方々が心配で twitterで役立ちそうな情報をリツイートしつづけました。 募金、節電なら当然できるけど、 なにかもっと、やらなくてはいけないことがある気がする。 日常のこと、もっと莫大なこと。 今回の地震は、今住んでいる東京の家が壊れるかと思うくらい揺れました。 もう、この世は終わりかと思いました。 ついに関東大震災がきてしまっったのかと思いました。 携帯も通じないし、ガスもとまるし 外では「火事だ~」と言っているし 安全な場所なんて何処にも無い。 わたしの家族は全員ソフトバンクなので、誰にも連絡がとれず、 夜になってやっと、公衆電話に並んで電話をかけて パニックかとおもったら、わりと、落ち着いていて わたしは拍子抜けした。 でも、 偶然にもうちからすぐ近くの所で仕事に来て居て 電車が無くなって帰れなくなった父を迎えに行って 外でご飯を食べているうちに、電車が通った。 まるで、なにもなかったかのような平和さだった。 わたしも、一瞬安心した。 でも、その後、東京にいても、何日も余震に怯えて生活して 食べ物も、買い占めのせいでほとんどなくて、 余震が恐くてガスの元栓も捻れないから レンジと炊飯器で出来る料理を駆使しても さすがに限界はあるし、節電にも限界はある。 毎日毎日ニュースを見ても状況がよくなる兆しがみえない。 お風呂に水を溜めてシャワーで生活し 玄関の前にはすぐに逃げれるグッズも用意して3時間くらいづつ眠った。 緊張しているからやたら眠いし ある程度の余震には慣れるし 怖くて熟睡できずに疲れて 原発の恐ろしさを知り、 発表一ヶ月前だな~と思いつつ 大事なものを見つけるために 西の方に旅にでました。 友達に逢いに。 大事なものをみつけに。 大事なことが数日間で見つかりました。 旅路の途中でも、 なんでも、 生きている限り私はやれます! ひとまず、第1段として”Tomodachi Calling”に参加しました。
by kakakakayo
| 2011-03-22 11:24
|
|||||||||
ファン申請 |
||